池田 一

池田一さんのメッセージ

木口屋集落<地球の家>3ヵ年アートプロジェクト(枕崎、鹿児島)

池田一

1943年大阪生まれ。地球環境問題、特に水と強く結びついた作品を制作する。1997年から、いかなる場所も地球上の次の世代に「未来のための水」を送る起点となるという着想によって、世界規模のプロジェクトを手がける。2008年5月には、ニューヨークの国連本部での環境セミナーに招待され、社会と自然 のシステムにおける、新しいパースペクティブの必要性を、「Water’s-Eye水瞰図法」として提案した。2008年10月の「花渡川アートプロジェクト」以降、11月の「The Missing Peace東京展」、12月のデリーでの野外展「48℃ Public. Art. Ecology」。2009年夏、カナダの植物園(Royal Botanical Gardens)でのEarth Art Festival、「にいがた 水と土の芸術祭」とグローバルで、精力的な活動を持続している。

<万之瀬川アートプロジェクトから 花渡川アートプロジェクトへ> 

1997年、見渡す限り雪景色の、ヴァーモント・スタジオ・センター(USA)での滞在制作の最中に、鹿児島・加世田から熱い誘いのメールが来た。帰国直後に訪れた加世田・吹上浜での、東シナ海の、南方からの爽快な風、東京文化ではなく、アジアへと連なる万之瀬川アートプロジェクトの始まりである。

  人口約2万人の地方都市から、アジア各地をネットワークする壮大なムーブメントである。1997 年には、琉球弧を間に挟んで、台北のアートシーンとの協働で、未来に水を運ぶ「水之方舟計画」を実施。翌年の、水市場プロジェクトは、香港水市場へと展開。その年、加世田から立ち上げた「水主ムーブメント」は、全ての人の中の「未来の人たちに不可欠な水を、いま我々は預かっている」という潜在意識を掘り 上げ、香港、マニラ、バンコク、ジャカルタへと展開していった。どの場所でも「そこならではの世界性がある」という環境意識をクローズアップする、アートという拡大鏡の真骨頂である。 この水から発信する環境意識が、1999年には全長約26kmの万之瀬川流域の1市3町(現在は南さつま市)を連動するこ とになった。それぞれの場所の特長をもつ4つの水駅をつなぐ水駅伝プロジェクト。いかなる場所も地球上の次の世代に「未来のための水」を送る起点駅となるという着想は、世界規模のプロジェクト構想を生むキッカケとなったのである。

 そして、万之瀬川アートプロジェクトから、7年。「地域から世界へ発信する」というキーワードは、南下して、JR の最南端駅のある枕崎での花渡川アートプロジェクトへと受け継がれた。東シナ海へと流れる全長約12kmの花渡川は、山・川・海の望ましい自然サイクルを体験するには、格好のフィールドである。それぞれの職業、立場の相違を超えて、「花渡川から、環境を考え、発信する」3日間---、Moving Water Daysと命名した。1人1日に必要な水の量を表す「80リットルの水箱」を背負って、川を渡る1st Moving Water Daysは、世界環境デイ展に選ばれ、オスロー、ブリュッセル、シカゴなどを巡回した。2007年の「100mの水筏」は、地球環境問題のためのパートナーシップとして、アーティストを迎え入れた画期的な、国連本部での環境セミナーで、その成果を発表する機会を得た。そこで、私は「環境問題に必要なの は、自分の中の想像力を社会の行動力に変える、新しいパースペクティブだ」と主張し、「Water’s-Eye水の眼/水瞰図法」を提唱した。端的に言えば、環境への「行動する想像力」である。それを具体的に共有のものとして体現したのが、花渡川でのMoving Water Daysであった。3年目の2008年は、気候変動、海面上昇をテーマに取り組んだ、「五輪の浮島が漂着する日」。5大陸を模した浮島が川面をゆったりと漂うのを目にして、足元の環境問題と地球環境が不可分につながっていることを実感した人は少なくないだろう。

 実のところ、足元の水環境、花渡川には、ますます深刻化する水質汚染の問題が横たわっている。地球環境の将来を見据えた「行動する想像力」が、新しい視点での環境への取り組みを喚起する日が、次のMoving Water Daysとなるであろう。

万之瀬川アートプロジェクト 1997-9

1997 水之方舟計画(加世田)

1998 水市場プロジェクト(加世田)

1999 水駅伝プロジェクト(知覧、川辺、加世田、金峰)

花渡川アートプロジェクト Moving Water Days 2006-8

2006 水山車が花渡川を渡る日

2007 100mの水筏が南方に向う日

2008 五輪の浮島が漂着する日

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